ご参考のために、大きい反響を呼んでいる新聞の全面広告の内容をお送りさせて頂きます。新聞社の好意なのか、枠外の「全面広告」という説明をのけてくれたために、一般の記事として読まれたようで、ラジオ・新聞・テレビなどが、ポーランドのエスペラントクラブを取材した報道が続いているとのことです。三好鋭郎(えつお)
なぜポーランドに投資するのか?
「ゼッツボスボリータ」(日本語版)2004/09/25 ボーランド。
インタービュー:ロマン・ドブルジンスキー(ポーランドTVディレクター)。
潟Xワニー社長三好鋭郎(えつお)氏との対談です。
社長さんは「手袋王」と呼ばれていますが、あなた自身で手袋が縫えますでしょうか?
はい、私が手袋を裁断し妻のヨシコがそれを縫うというかたちで…。独身時代には、日本の四国の白鳥町にある父の工場でそうゆう風にやっていました。その時には40人ほど社員がいました。
現在潟Xワニーの代表取締役となり、中国の4つの工場と米国の子会社で1,500名を雇用され、年に5,000万ユーロ売り上げをされていますが、どのようにして大きくなったのですか?
1964年まで、年末に生産をやめて社員たちを4月まで解雇しました。そんな状況を何とかしようと決心しました。まず最初に日本より寒い国々、つまり米国や欧州で市場を探さなければなりませんでした。そのために、学校で習った英語力だけで旅立ちました。しかし食事さえまともに注文できませんでした。そこで、顧客を訪ねるために通訳を雇いました。そこで、言葉の壁が世のなかで、どれほど大きい問題かを認識しはじめたのです。
どのようにその壁を越えましたか?
集中的にNHKのラジオ番組で英語を勉強しはじめました。発音の練習は、運転しながら録音テープでケンネデイの講演と一緒に大声で喋り続けました。それらを覚えるためには、700回もの繰り返しが必要でした。1つの英単語には多くの意味があり、複雑な発音のために英語は大変に難しいのです。例えば母音「a」には7つの発音があります。丁度そのころに国際語エスペラントとめぐりあい、ポーランドで発明されたその言葉の素晴らしさが判ってきました。
どのようにエスペラントを知ったんですか?
それは1965年のことです。出口京太郎著「エスペラント国周遊記」という本を読みました。著者はその旅の中でエスペラントの母国ポーランドを訪ね、ブルガリアでの世界エスペラント大会の弁論大会で賞を受けました。外国語の弁論大会で、日本人が受賞するなんて信じがたい出来事でした。私はエスペラントに心を奪われ「いずれ習おう」と決心したのです。出口先生は大本の信者の間で有名な方です。
大本とは一体何のことですか?
仏教が伝来する前に日本で広く信じられていた神道の一派です。大本は宗教間の協力を目指しており、国際語の理念が受け入れられる素地があったのです。そんなことから、大本は私の人生に大きい影響を与えました。
そのことについて、ご説明いただけますか?
私は幼児期に小児麻痺にかかり、右足がビールスにおかされました。私は障害者にも関わらず、青年期に勇気をふりしぼって同級生に愛を告白しました。残忍にも拒否されてしまいました。生きる望みを失って自殺をしようとしましたが、幸いに家族に救われました。そのあと大本本部で数週間の修行をしまして、「人間誰しも、自分しかなし得ない重大な使命をたずさえ、この世に生まれてくる」という人生の役割を知ったのです。その発見によって自信をとりもどし、難関が克服できる勇気を頂きました。
例えば?
競争力のある価格や高品質の商品作りを目指しながら、顧客獲得ために地球を百回以上駆け巡りました。そのように田舎の工場から国際的な会社へと変身いたしました。故郷の白鳥に因んで社名を英語風の「スワニー」と名付けました。その十数年後には安い韓国製手袋を買う人が急増したために、それらの競争に勝つために1972年に工場を韓国へ移しました。
きっと言語問題が出てきましたね?
そのとおりで、猛烈にマン・ツー・マンで韓国語に取り組みました。英語よりずっと簡単なんですが、ものにするためには沢山の時間が必要でした。残念ながら、その後まもなく中国からの厳しい競争にさらされ、1984年から89年にかけて中国で4つの工場を設立しました。
あなたは中国語を身につけましたか?
その折、難しい外国語をつぎつぎ習って時間を費やすのをやめようと決めました。そして1995年にエスペラントを学び始めました。ニュージランドから先生を招聘して毎晩3時間の学習を始めました。私の経験では英語の5分の1の努力で、よく喋れるようになりました。付け加えますと、私がエスペラントを習い始めたのは55歳でしたので、記憶力が大変に減退していました。自宅には捨てられたエスペラント名の四匹の猫と3匹の犬がいます。孫はそれらの名前をすぐ暗記したが、私には相当な時間が必要でした。
エスペラントで「愛しています」はどのように言いますか?
Mi amas vin.
エスペラントの簡単さの真髄はどこにありますか?
16種の例外無しの文法と、論理的な単語造成法にあります。接辞によって少ない単語の原型から沢山の単語を作れるのが特徴です。一字一音で、アクセントは常に後ろから2番目の母音です。
でも人工の言語ですね!
「人工性」が人間性の真髄なんです。火を支配したり、車輪を発明したり、飛行機を作ったことに対して人間を批判できますか?更に、国際語を人工性のため責めるのは正しくありません。エスペラントの文法規則と語彙は自然言語から取り入れたものです。ポーランド人なら多分エスペラントの単語の半分は辞典を引かずに理解できます。中世以来数百種の国際語が発表されましたが、沢山の使用者が出てきて生き残っているのはエスペラントだけです。
一番習やさしい国際語でも学ばなければなりません。母国語は苦心せず身につけられますよね。
私は、国際語を自然に受け継いだ「生まれながらのエスペランチスト」を数多く知っています。だいたいエスペラントを介して国際結婚されたカップルの子供たちです。母国語と共に自然にエスペラントを身につける状況は想像しやすいですね。ただ必要なのは、民族語とともに中立な国際語を国際交流のために採用するという一大決断だけです。
そのとおりですが、言葉には文化が宿っています。エスペラントにはどんな文化が育まれていますか?
自らの文化を捨てるエスペランチストは誰1人としてありません。エスペラントを非難する理由は文化が無いのではなくて、多くが欧州文化に根付いていることです。幸いに今エスペラントには全世界の文化が包含されています。生まれながらのエスペランチスト達の写真をご覧下さい。彼らはエスペラント文化の推進者です。因みに新しいエスペラントの著書を出版しない日は無いほどです。オーストリアの国立図書館の支部でウィーンのエスペラント博物館には2万冊が収集されています。カセットテープ、音楽CD、舞台劇などなどがあります。
創立者がすでに生存していないのに、エスペラントはどのように新語を採用するのですか。
ルドヴィコ・ザメンホフは数多くの前任者と違って言葉を完成したと言いませんでした。ただ創始者としてエスペラントが自立して発展できる言語機構を作り上げました。凡ての言語と同じ方法で新語が採用されています。オランダ人エスペランチストが考え出した「ユーロ」と言う単語ができたおり、自動的にエスペラントが適用されました。名詞のEUROだけではなく形容詞のEURAと副詞のEUREの役割もあります。エスペラント以外の言語には見られません。複数ではEUROJになります。それらの新語を作るには、エスペラントの初歩的授業を終えれば可能です。
エスペラントは優秀な発明品である事を前提としましょう。しかし誰が支持していますか?
法王ヨハン・パウロ2世はキリストの降誕祭と復活祭の挨拶に少なくても年2回エスペラントを使います。エスペラントを支持するノーベル賞受賞者も少なくありません。例えば流暢にエスペラントをこなされる友人ドイツのレインハルド・ゼルテン教授がいらっしゃいます。既に2回「ユネスコ」総会が、国際間の知識的交流の分野で、エスペラントの価値を認める決議を宣言しています。
世界にはエスペランチストは何人いらっしゃいますか?
約100万人だと思います。世界エスペラント協会には117ヶ国から3万人の会員がいます。国際間のインターネットで英語の次に使われるのはエスペラントなんです。ヴァチカン、北京、ハバナ等から12のラジオ放送局がエスペラントで放送しています。ラジオポロニアが45年間もエスペラント番組を放送し、同社の外国語支部の内で一番多くの手紙をもらっています。
どこで、どのようにエスペラントが使われていますか。
私は何年か前、インターネットでエスペラントの教師を募集しました。一週間に22カ国から100名あまりの応募がありました。エスペラント青年協会TEJOが„バスポルタセルボ” という住所リストを出版しています。世界中に「エスペランチストの旅行者」を宿泊させる家庭が載っています。最新のものには1,286家庭が掲載されています。拙宅には、スウェーデン、ヴェトナム、ポーランドなど10カ国の人々が訪れました。70カ国からの数千人が通訳無しの世界エスペラント大会に参加しています。2002年にはブラジル、2003年スウェーデン、今年は北京、2005年リトアニアのヴィルニウスで行なわれます。エスペラント100周年の第72回世界大会にはワルシャワに5,946人が参加しました。
その大会ではどんなことをしていますか。
大会プログラムの内容はとても豊富です。大会中各国の教授が「大会大学」で講演をします。世界エスペラント大会は重要な文化イベントでもあります。だれもコンプレックス無しで対等に話し合えるので、自信を持って家庭的な雰囲気を楽しむ事が出来ます。北京大会が特に気にいった理由は、大会テーマが[国際関係での言語の平等性]で、私の人生目標を反映していたからです。
史上つねに勢力のある国がより弱い国に言葉を押しつけてきました。現代も同じで英語が支配しています。
エスペラントはその悪循環から脱脚できる道を明示しています。英語を喋る人は人類の7%しかなく、大多数にとって大変難しい言葉にもかかわらず、数億人が惨めな結果に終わる使えない英語を勉強しています。英語圏の人々があらゆる分野を学んでいる間に、我々は苦しみながら英語を覚えなければなりません。毎年ブラッセルでは800もの人材募集の広告がでますが、英語のネイテイブスピーカーを要求しています。それは正義に反しています。
貴方はエスペラントを支える広告シリーズを “Le
Monde”, “Die Zeit”, “La Repubblica”などに発表しましたが、何を目指しているのですか?
数十年前、日本の運送会社「ヤマト」が日本経済新聞に全面広告を載せました。日本人が不自由な運送規則を知って議論が噴出し、日本政府は徹底的な自由化を行いました。その後運賃が30%も下がり配達時間は半減し、日本は大変な競争力をつけたのです。そんなことから、私は新聞広告が言語問題を解決する最もいい方法だと信じています。
そのための資金はどのように稼ぎますか?
手袋産業の競争は非常に厳しいです。幸いに「必要が発明の母」となり、ステッキ・バッグを発明しました。世界的に英語名「ウォーキングバッグ」として登録しています。長年使いすぎた左足の機能が弱り、私は杖を使うしかありません。ある日、一歩ごとに杖を動かす必要がないということに気がつきました。車輪をころがせることに気づいたのです。旅する時には小さいブリーフケースが必要です。それに車輪を付けようというアイディアが湧いてきたのです。試行錯誤を繰り返してやっと完成させました。世界で特許を取得して、たちまち人気商品になりました。昨年スワニーの取締役会で、私が特許権を放棄する条件で利益の10%を私の人生目標に支出できることが決まりました。そのようにして国際語の普及資金を手に入れました。
そうした挑戦は勝てますでしょうか?
私はポーランドで面白い経験をしました。今年の5月にルブリン工業大学で国会議員のイレナ・クルゼッパーさんに、そしてワルシャワ行きの列車で同議員のパウェル・ポンチリウズ氏にあいました。両氏は私の活動に大変に前向きな姿勢を示され、私に勇気を与えてくれました。そのために、ポーランドのEU議員54名と十数名の政府の重鎮、マスコミを「言語のための昼食討論会」に招待しました。「欧州言語の日」に合わせて9月26日にワルシャワのヴィクトリア・ホテルで行なわれます。
プログラムについて詳しく教えて頂けますか?
ノーベル賞受賞者のゼルテン教授、エスペラント創造者のお孫さんでザレスキ・ザメンホフ教授、6月に当選されたばかりのエスペランチストで、ポーランドのEU議員マルゴルザータ・ハンズリックさんが、中立の言語について講演を行います。
この件に関して、ポーランド人には特別な使命があると思われますか?
エスペラントは世界中でポーランドが発明したものと認知されています。私がエスペラントの普及によって、ポーランドにどんなチャンスが訪れるかをお知らせする必要はありませんが、エスペラントのゆりかごを沢山の人々が訪ねて来て、あなたの国の全ての分野が必ず活性化するでしょう。特にポーランド人のエスペラントの会話力は一級ですから、ポーランド人教師が世界中で活躍するようになると思います。言わばザメンホフは神の摂理からあなた方への贈り物なんです。それに私はEUで85%を占める非英語圏の人々が、たった15%の英語圏の人々に、永遠の特権を与えないだろうと考えています。
実は2004年4月に約120人のEU議員がエスペラントを支援しましたが、約160人が実際は英語に集約されようとしている多言語制度を選びました。それは貴方の目標に役立ちますでしょうか?
勿論です。4月までは624名のEU議員が活動していましたが、10カ国が加盟し、ポーランドの54名を含めて108人の新議員が増え、732名になりました。彼等は平等な言語のための法律制定に、実質的な力になります。
貴方がポーランドに興味を抱いた理由はなんですか?
まずは、エスペラントの発祥地としてのポーランドです。またポーランドの何人もの友人と文通をしています。ある日私は、エスペラントのゆり籠ワルシャワのエスペラントクラブを訪れました。その際、「貴方について話して下さい」と頼まれて喋り出しました。突然に、生まれて初めて準備もなく外国語で話しているという意識が湧いてきました。また、地元のエスペラント会の招待で2003年7月にマルボルクに参りました。そこでは数年前から美しい夢を実現するために「世界公園」を造っていて、私が日本を象徴する桜の樹の脇の記念碑を開幕しました。
マルボルクに投資されるようですが、心情的な理由だけでですか?
そのおり、グダンスコの港に近くで、立地がいいにもかかわらず高い失業率だと聞き、それがマルボルクの問題だと知りました。そして、エスペラントだけでなく、英、仏、独、露語が話せる営業マンが雇えるということです。ウィルク市長は、マルボルク市が私どもの欧州への扉になれると説得しました。一年あまり調査して、私たちは杖カバン「ワォーキングバッグ」を生産するために、マルボルクに200万ユーロを投資することにしました。
マルボルクはその素晴らしい発明品の都になると希望を持ちましょう。たくさんのおはなし誠に有難うございました。
1. 旅行中には車椅子のかわりに2個のワォーキングバッグを使います。(三好の大きい全身の写真)
2. クロアティアでの世界エスペラント大会で、右から3カ国の、マルヨーレン、マヤ、ズラヴカ、ティーナ。1000人もの子供たちが第2外国語としてエスペラントを話しています。(デナスカ・エスペランチストの写真)